ひとりごと。

シンボリック・シンドローム。

女性とお付き合いをする際に「この子とは長いだろうな」と思うときは、必ずと言っていい程、しんぼリックな出来事が起こる。

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最近、何人かの女性とご飯に行ったりメールをするようになった。

それとないご飯を食べながらそれとない話を聞いてそれとない相槌を打ち、お店を出て駅まで行って次の予定の話をそれとなくしてお別れする。

ただ、それだけ。

いくら可愛くても、いくら会話がうまくても、いくら趣味が合っても「この子と付き合いたい」には届かない。

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例えば。

あの子のときは、付き合う前にお互いの「すき」が溢れた。

落書きチャットをしていて、画面が「すき」で埋め尽くされた。

元々お互いそんなことを表に出すような性格じゃなかったから、それは2人の秘密になった。

お互い口にはしなかったけど、それがあったから長く付き合えたのだと思う。

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最近、1人だけ、気になる子がいる。

2年前から連絡を取っていて、時々デートをする女の子。

この間、半年振りに会ったのだけど、時間の経過を感じなかったし、その子もおんなじことを言っていた。

おそらく、僕が会う人の中で、一番僕が落ち着いていられるし、一番僕らしくいれるのがこの子だと思う。

その子もそのことを知っているし、その子も僕といると落ち着くって言ってくれる。


でも、それでも、「付き合う」には届かない。


その子は僕が未だに高校の頃の彼女を引きずっているのを知っているし、僕もその子が1年前の彼氏を引きずっているのを知っているから、お互いにそこに触れないようにしているように思う。

詰まるところ、決定的な何かが欠けているのだと思う。

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例えば。

あの子のときは、2人とも人前では明るいのに、2人きりの時は静かなことが多かった。

生きるのは哀しいねって、死にたいねって、いつも話していた。

2人で死のうって決めた日に、ベンチに座っていたら、見知らぬおばさんが声をかけてきた。


今日は空がきれいね。


その言葉だけを残して、おばさんは何処かへ消えていった。


僕らは、2時間、無言で空を眺めた。


今でもその時のことを思い出すことがある。

あの人はきっと、あの子の守護霊だったんじゃないかって、今でも思う。

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1月に初詣に行く。

何かあればいいなって思う。

何もなくてもいいなって思う。


僕は、僕の大事な人たちが、いつまでもどこまでも、しあわせでいてくれたら、ほかには何もいらないなって思う。

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ねぇ?

ん?

ある出来事がシンボリックに記憶に残るってことは、その出来事がシンボルに成り得る「日常」がそこにあるんだって。

じゃあさ、僕との出来事でシンボリックに記憶に残ってることって何?


んーとね。

えーっとね。


去年の冬に2人で外でアイスを食べて、ちょーさむいー、ってなったことかな。

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やさしくなりたいのです。

ある人は、楽しくなければ人生じゃない、と言います。

あの子は、生きていることがつらい、と言います。

あふれ出る涙を必死に抑えて、それでも生きたい、と言います。


楽しくなければ人生じゃない、なんて、そんなおふざけにもならない雑言を、あの子はどんな顔して聞いているのでしょうか。



ぼくは、人生なんて楽しくない、と思います。

ぼくは、生きていくことはつらい、と思います。


ぼくは、ぼくの人生に、楽しさや幸せはいりません。


ただ、ぼくは、やさしくなりたいのです。


ただ、あの子が笑ってくれるくらい、やさしくなりたいのです。


ただ、それだけでいいのに、ぼくは

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金魚の記憶が泣いてるよ。

朝起きて、パソコンのメールボックスを見る度に、今日こそ君からメールが届いてるんじゃないかって、途方もない期待を抱いてしまう僕がいるんだ。

それなのに、僕のメールボックスには
「セフレになりませんか」とか
「絶対稼げる!」とか
そんな愛のないメールしかこないのです。

明日の朝、君からのメールが入っていたら、
この何気ない日常がどんなに楽しくなるだろうか。

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僕がただただ「生きる」という罰に向き合っている今日という日にも、君はどこかで幸せに笑ってるんだと思ってた。

僕が泣きたくなるのをおさえて下を向いて歩くこの瞬間にも、君は好きな男の子と一緒に2人の愛を、2人の未来を語ってるんだと思ってた。

もしもそうだったら、僕のこの惨めな人生にも、少しの希望が見えるんじゃないかって思ってた。

君が悲しむこの世界なら、いっそのことなくなっちゃえばいいのになって思ってた。

だから、この世界はもうおしまいにしよう。

僕たちが目にするすべての景色を、僕たちが耳にするすべての音を、僕たちが感じるすべてのものごとを、ぜんぶおしまいにしよう。

ねぇ、そうしよう。

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ほ    らね。

せ   かいは こん     な   にあ   い    であ     ふれ    て   い    るで     しょ       う            ?

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人は見た目じゃありません。

人が怖い僕でも、時々だけれど、外に出ることがある。

外の世界は人が星のようにたくさんいて、僕はいつもびっくりしてしまう。

そして、その星々にはもう二度と会うことはないであろう空気がプンプンしている。

そういった無数の出会いと別れを繰り返しながら、いつも思う。


あぁ、世の中はなんて不平等なんだ。


顔の整った人もいれば、お世辞にも可愛いなんて言えない人もいる。

モデルのように脚がすらーっとしている人もいれば、環境遺伝ではごまかしきれないほど太っている人もいる。

見た目がすべてじゃないけれど、人を判断する上で、見た目は大事なファクターの一つであると思う。


全くもってつらいよな。


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あらゆることが努力次第でどうにかなるっていう時代は、情報社会の到来でメッキが剥がれてしまったんだ。


テレビが言う。
可愛いってこういうことよ。

映画が言う。
かっこいいってこういうことなんだぜ。

雑誌が言う。
こんな格好じゃなきゃモテないよ。

モテることがすべてだよ。


あぁ、嬉しいほどに世知辛いよ。


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とはいっても、世の中はうまくできている。

どんなにブサイクでも、ブスでも、ハゲでも、デブでも、恋人のいる人はたくさんいる。

失礼と口の悪さは勘弁してほしいとしても、ようはコミュニケーションとか、頭のよさとか、運とか、そういうものなんだと思う。


正直に言って、馬鹿になんかしていない。

いや、僕は大抵の人を見下しているド底辺人間なのでほかのみんなと同じように馬鹿にしていると言った方が正しいか。


なんでだろう。

ふとしたときに、彼らがとてもうらやましくなる。

彼らのようになれたらいいなって思う。

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(いつもここに書くけれど)僕は性格が悪い。

僕はすべての人を愛せるし、すべての人を見下せる。

どっちが本心なの?って聞かれてもそんなことわからない。

ただ、そうできるだけなんだ。

きっとすべての人に興味がないんだろう。


同じように。

僕は僕自身をとても好きな一方、吐き気がするほど嫌いだ。

ほんとはどっちなの?なんて言われても、そんなことはわからない。

ただ、僕はどっちでもいいんだ。

きっとほんとにどうでもいいんだろう。



なーんて、全部うそ。



あぁ、今日の君はどうしているのかな?


世の中の基準がどうだろうと、

君が一番かわいくて、

君が一番愛おしい。



人は見た目じゃありません。

人は性格でもありません。


人なんかどうでもいいんだ。


君だ。

君さえ笑ってくれたら、

あとのことはどうだっていいんだ。


ねぇ、そうでしょ?


うん。そうだよ。

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ねぇ、アリス。

もしも1日が25時間あったなら。
25時間、君を想うだろう。

とかなんとか、こんな阿呆みたいな科白を1人呟いた所で、君は僕の隣にはいなくて、僕の知らないピーマン脳イケメンと今頃健気に腰なんか振って、その天使のお尻みたいな美声をベッドの上で響かせているんだろうな、っていう妄想も結局は自己嫌悪増強剤にしかならないっていうこのどうにもならないsituation。

くゆらすタバコの煙の遥か向こうに、Oh, dear. なんて嘆きが吸い込まれて消えていくのを暫く眺めては、嗚呼無情、などと分かったようなため息混じりの言葉を吐く毎日に行き場のない不安を感じつつも、ここから抜け出す度胸を持ち合わせていない自己の不甲斐なさに絶望するのだけれど、その絶望する自分に陶酔してしまう現実からは逃れることができない。

自分の才能のなさを今更どうこう言ってもどうにもならないことなんて分かりきっているのに、それでもこのどん詰まりの人生をどうにかしたいって思うのは、今日も君がどこかで生きていて僕と同じように掃き溜めのようなこの世界を這いつくばって生きているからというその一点に尽きるのだけれど、僕はもう君が誰だか判断できないので、一見光に見えるそれははりぼての希望でしかないのです。

あぁ、そうだ。

長い間、僕はこの「君は誰か」という命題に答えを出せないでいるんだ。

25時間もの間、僕は誰を想うのだろうか。

僕は君にもう既に出逢っているのか。

それとも君は

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Lolita LEMPICKA。

いつも携帯電話で書いているので、たまにはPCから書いてみようかと。

雑記と回想と想念と日記と回想と想像と児童文学のおはなし。

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僕は、高校2年生から今年で10年の間、ずっとおんなじ香水を付けている。

Lolita LEMPICKA au Masculin

それがその香水の名前。

単独で付けることもあるが、大抵は他の香水と一緒につける。
個人的には BVLGARI BLACK と一緒にすると、とても落ち着く。

最近ではお店で探してもあんまり見つからないので、インターネットで買うことにしている。
だけど、それもなかなか難しくなってきていて、少しさびしい。

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この香水は、高校2年生の時に、当時の彼女からもらったものだ。

その彼女は、とてもかわいくて、とても頭がよくて、でも、とてもこの世で上手く生きていけるとは思えないような人だった。
もう連絡も取れないし、生きているのかどうかさえよくわからないけれど、どこかで幸せになってくれていればいいなって思う。

だけど、こんなことを言ったらきっと怒るかもしれないけれど、彼女には、幸せは似合わない。

頭が良過ぎるのだと思う。
そして、人に嫌われることが怖くて仕方がないのだと思う。

とはいっても、僕が知っているのは10年前の彼女なので、今はどうなっているかはわからない。

幸せが似合う素敵な人になっているといい。

何年か前は、たまにここに来てくれていると言っていたけれど、たぶん、もう来てくれていないだろうな。

だけど、それでいいと思う。

僕も、幸せが似合うような人間ではない。

僕と関わることで、いろいろな人が不幸せになるから、僕のことなんか忘れてくれているといい。
それが一番だと思う。

僕は、彼女と話をすることがとても怖い。

彼女が怖いのではなく、彼女と会話をする自分が怖い。

彼女は、(たぶん否定されるけれど、)どこまでも純粋なのだと思う。

彼女と接すると、自分の不純さがどくどくと全身をめぐる。

とはいっても、これは僕個人の完全な主観で、本当の彼女を僕は知らない。

未熟な僕は女の人に聖処女性を求めていて、彼女が今の僕にとってのそれだということに過ぎないのかもしれない。

まぁ、僕の未熟さについてはこの際どうでもいいか。

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僕はいま、「彼女が生きているのかどうかさえわからない」と書いた。

連絡を取れない、もしくは意図的にでも取らないことで、自分ではない他者との関係を断つこと、それと自分ではない他者の「死」には、違いがあるのだろうか。

僕は、違いはないと思う。

だから、彼女にとって僕が死んでいることになっていても、僕にとって彼女が死んでいることになっていても、それは、それでいいのだと思う。

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さて。

「自分でない」という意味での「他者」が「生きている」とはどういうことなのだろうか。

たとえば、電車の中で、僕の横に誰かが座る。

その彼(もしくは彼女)は本当に生きているのだろうか。

彼(彼女)が自分と同じように「生きている」とどうしてわかるのだろう。

僕にはわからない。

その彼(彼女)がごく親しい人、たとえば、親ならどうだろうか。

どうだろうもこうだろうもない。

僕にはわからない。

もしかしたら、僕以外の人、モノ、すべてが、実体を持っておらず、僕もしくは形而上的な何かが勝手に創り出した偶像ではないかという疑念。

そういう僕も自分で自分を認識できていると思い込んでいるもしくは思い込まされているのはないかという疑惑。

これらは一生をかけても晴れないことは自明であると思う。

「我思う故に我あり」とおっしゃったデカルトさんは、本当に「我」が「ある」と確信していたのだろうか。

僕には「我」が「ある」ということが疑わしくて仕方がない。

僕が僕であることの同一性は結局僕の主観でしかなく、そこに何らかの確定性があることを証明できようか。

こういった、人が持つ認識の不完全さを超越するためには、どうしたらいいか。

それは、無か無限のどちらかだと思う。

すなわち、「死」か「神」か。

不完全なものなら、存在しない方がよっぽど優美だ。

「人は不完全だからいいんだ」なんて言葉は、とても滑稽極まりない。

自分たちの「不完全さ」を肯定することで、何かしらの意味を、何かしらの価値を見出そうなんて、「完全」に対する恐怖から逃れるための言い訳に過ぎないと思う。

僕の知らないところで一生仲良くやってろよ。

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とかなんとか。

わかったふりして、他人を否定して、何が面白いのかというと、何も面白くない。

そもそも、こんなことを本気で思っているわけがない。

僕は愚者なので、思ってもいないことを、さも自分の信念のようにすぐに口にしてしまう。

ある事象に対する認識、考え方なんて、それこそ無限とも思えるほどにたくさんあって、その1つを武器に相手の脇腹を刺したところで、それは自分の脇腹を刺しているのと同じこと。
でも結局は自分が手にしたその惨めな剣は武器にすらなっていないのだ。

「何かを理解したと思ったら、絶対にその考えは間違いなので、すぐさま、捨てるかもしくは否定をしろ。」

さながら「仏に逢うては仏を殺せ」的なこの考え方が僕は好きだ。

僕は何かを理解できるほど頭のいい人間でもないし、それを享受できるほど、心も広くない。

一生、部屋の隅でオナニーにふけってろよ。

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なんて、思ってみたりするけれど、実際、そうすることしかできないというこの現実。

この現実が、このどん詰まりのような人生が、僕は好きだ。

こんなわけのわからない、頭の中に惨めでネガティブな蟲が巣食っているド低能な僕には、到底、人を幸せにできるような貫禄なんてない。

かといって、ここまで自分を卑下する必要もないし、そこまで貫禄不足でもない。

まぁ、どうでもいいか。
全部嘘なのだから。

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なんて、日曜日(日付的には月曜日)の夜中に、よーわからないことを、わかったようにベラベラと恥ずかしげもなく書いているのは、月曜日に久しぶりの有給休暇なるものをもらったからなのです。

わーい。

明日は何をしようかな。

とりあえず本でも買って、喫茶店でゆっくりしよう。

そして、映画でも観てぼーっとしよう。

散歩をして星をみよう。

そうだった。

僕は星を眺めるのが好きなんだった。

忘れちゃってたや。

難しい(と勝手に思ってる)ことなんて一切考えず、のんびり過ごします。

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そういえば、Lolita LEMPICKAをつけていると「なおゆきさんのにおいだー」と言ってくれる女の子がいる。

大学の頃にお付き合いさせて頂いていた女の子。

僕は、そう言ってもらえるととてもうれしい心持ちになる。

もともとは高校の頃の彼女からもらったものなのに、この香水をつけた僕と一番長くいてくれたのは、彼女だろうな。

あぁ、そうだ。
僕は彼女からいろいろな大切なことを教わったんだ。

この香水は、もう、「高校の頃の彼女からもらった」という形容はふさわしくないのかもしれないなって、最近思う。

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10年後、僕はまだこの香水をつけているだろうか。

そのころには、彼女だったり、奥さんだったりがいて、その大切な人が僕に合う香水をプレゼントしてくれているだろうか。

それとも、その人もまた、「なおゆきさんのにおいだー」って、この香水をほめてくれているだろうか。

どちらでもいいなって思う。

人生は予想できないから面白いんだ。


なんて。

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なんだかとても眠たいんだ

パトラッシュ

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きらめく月は、そう、お前の涙。

風があの子を連れ去って、僕はまた一人ぼっちになった。

あの子は死んだ、と風は言う。

時があの子を置き去りにして、僕には未来が見えなくなった。

あの子には二度と会えない、と時は言う。

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僕の頭には、日々、君以外の要らない情報が入ってきて、少しずつ少しずつ君を思い出せなくなっていく。

そのくせ、僕の携帯電話には、君の写真や君とのメールが薄れゆくことなく残っている。

いつの日か僕の中には0と1の君しか存在しなくなってしまうんじゃないだろうか。

ねぇ、君は本当に存在してたのかな?

あのときの君の笑顔を、泣き顔を、僕はもうぼんやりとしか思い出せないよ。

ねぇ、君は今、どこにいるの?

あの冷たい土の中に君がいるとはどうしても思えないんだ。

もう一度、もう一度でいいから、僕にあのくしゃくしゃの笑顔を見せてくれないかな。

もう一度、君のぐっしゃんぐっしゃんな泣き顔をみせてくれないかな。

君のいないこの世界で、僕は、何をすればいいのだろう。

ねぇ、早く僕をそっちに連れてってよ。

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風があの子を連れ去って、僕はまた一人ぼっちになった。

あの子は死んだ、と風は言う。

あのとき君も死んだんだ、と風は言う。

そう言い終わると、風は音もなく過ぎ行き、また新たな風が僕らに吹いた。

僕らはそれを「希望」と呼んだ。

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こんなにも遠い。

生きているのがつらい。

何故こんなにも無理をして、生きていかなければならないのだろうか。

何かあったわけではないのに、
この「ただ生きる」という行為がつらくてつらくてたまらない。

生きていることの罪には、このつらさが罰として妥当なのだろうと思う。

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このつらさは、おそらく「哀しさ」なのかもしれないな、と思う。

僕には、生きていることは、途方もなく哀しい。

何をしていても、空しくて仕方がない。

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ねぇ、僕を早く君のいる世界へ連れてってよ。

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隙間産業的。

会社の先輩に言われた。

お前さ、ニッチな子が好きだろ。

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先日、美容院でシャンプーをしてくれた女の子の手と腕がひどく荒れていた。

それだけで、僕のやわなハートはきゅいんきゅいんと音を立てる。

「その手、どうしたんですか?」
「昔から肌が弱くて、すぐ荒れちゃうんですよぅ」

きゅいん。

「でも、春先は花粉症だからか、肌のほうはだいぶ落ち着いてる方なんですよぉ」

きゅいん、きゅいん。

だめだ。

手荒れが愛おしくて仕方が無い。

その手をずっと見ていたい。

クリームとかプレゼントしたい。

もうだめだ。

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お前さ、ニッチな子が好きだろ。

はい。

どうすればいいですか。

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人を呪わば。

僕は普段、まったくと言っていいほどテレビを見ない。

お正月もテレビを見ないって決めてた。
はずなのに、ニュースをチラッと見てしまった。

見なければよかった。

そのニュースでは、お正月恒例の「どっかのお店の元旦セールで、開店前から並ぶ人々」と「開店後に走ってお店に入る人々」と「福袋を奪い合う人々」を映していた。

僕は、あれが吐き気がするほどに嫌いだ。

開店前に並ぶことはまだ譲れるとしても、あとの2つは見ていて気分が悪い。

僕は決してお金持ちでは無いけれど、普段1万円するものを3000円くらいで買えたとしても全然うれしくない。
1万円するものは1万円で買いたい。
たとえそれを3000円で買ったとしても、それはもう1万円のものではない。
自らその価値を下げているようで嫌なのだ。

僕は福袋の価値はよく分からないけれど、譲り合いのできない人と同じものを買おうだなんて思わない。
自分が欲しいと思って買うものは、ほかの人も同じ心持ちで買って欲しいと思うからだ。
人によって価値観は違うから心持ちはもちろん違うと思うけれど、せめて自分が見えている範囲では、そうあってほしいと願ってしまう。

人によって価値観が違うのだから、買い方は人によって違う。
そんなことはわかってる。
僕がわがままだからそう思ってしまうのだろう。

だけど、あれらの映像を微笑ましい光景として報道するのはあまり好きではない。

そして、自分が嫌いなものを不特定多数が見るかもしれない箇所に書くという所業も、決してほめられた行為ではないと思う。

あと、人を貶したあとで自分を貶すという浅はかな行為も、自己弁護が過ぎて気持ちが悪い。

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